なぜ世間は少子化について真剣に考えないのだろう?

 少子化の原因については既にさんざん語られているので今さらの話題だと思われるかもしれないが、なぜか当たり前のことが語られていないように思うので以下に自分の考えを述べておく。

 私が思うに少子化の一番の原因は人間が社会に信頼を寄せるようになったからだ。どういうことかというと昔の世界は(おおざっぱに言って100年ほど前の時代以前は)社会というものがあまり当てにならない世界であり子供がいるかどうかによって人間の生活の質は大きく変わった。

 養える範囲で子供を作れば水汲みやら家畜の世話やらで労働力として活用でき生活の質が明らかに向上した。成長して一人前の労働力になれば歳をとった自分の面倒を見てくれることも期待できただろう。

 それに比べて現代は子供を産んだところで生活の質が上がる事はない。電気ガス水道が整備されスーパーでいつでも食品が買える社会では子供の労働は必要ないし、福祉制度が充実した社会においては子供が居ない人間でも年老いて飢え死にする可能性は低い。

 「社会に対する信頼」というのはそういう意味である。先進国の現代社会においては家族に頼らずとも個人で生きていける。そうした社会において人間は子供を作らなければならないという切迫した動機を持てない。「子供は贅沢品」と言われるようになったのは子供を産み育てるのに金がかかるようになったというよりは子供というものが生活の質を上げるのに必要な存在ではなくなり精神的な満足感ための存在になってしまったという意味である。精神的な満足のための子作りはせいぜい二人までで三人以上の子供を作ろうとする人はきわめて少ないだろう。

 人口が増加した時代というのは「子供を持てば豊かになれる」という意識を持った人間が社会の主流で、かつ産業化がすすみ食料が安価になり医療が普及した人間社会の歴史のほんの一時期の事であり、その時代が過ぎると人間は社会に信頼を寄せるようになり上に書いた理由により少子化がすすんでしまう。

 社会の成員の全員が結婚をしないで、しかも結婚した夫婦も子供を一人か二人しか作らなくなるのだから人口が減少するのは小学生にもわかる話である。つまり人間社会は産業が発展し法治がすすみ政府が福祉に力を入れるようになると必然的に子供が減り人口は減少する。

 だから少子化の原因を「氷河期世代が貧乏だったから」とか「女性が働くようになったから」などという社会の一時的な現象のせいにするのは本質から目をそらしている、先進国の現代社会は原理的に少子化に向かわざるをえないのだ。 

 原因が人間の性質に基づく根源的なものだから少子化を解消して人口を維持しようとすれば相当思い切った手段を取らなければならないだろう。たとえば子供を3人以上産んだ女性には生涯それなりの金額を支給するとか人工的な出産や職業的な養父母による育成などの手段が必要になると思う。

 私にはどうも世間は少子化を心配する言説が流れる割には真剣に原因や対策を考えているようには思えない。